納戸は寝室
「民家に学ぶ家づくり」吉田桂二を読んで、

納戸というとタンスや衣類をしまう物置と思っている方も多いと思うが、実は納戸は古くは寝室を意味していたそうである。
「田の字間取り」になる以前は「日の字間取り」の時代があったそうで。床を造るのが贅沢な時代の間取りだそうだ。
日の字間取りの二部屋は、寝る部屋と起きている時に使う部屋の二室だけ。
寝るほうの部屋は、古い時代には窓なしで、家族はその部屋で雑魚寝した。
冬の寒さを思えば、そうするよりなかった。
起きている時の部屋は、囲炉裏のある部屋であり、台所仕事は、水を使う仕事は土間部分で、そして煮炊きは囲炉裏のある部屋で行なわれていた。、
そのため囲炉裏のある部屋が台所と呼ばれていた。
納戸と呼ばれる部屋は今もあって、農家では今も戸締りなどしないが、昔はどこもそうだった。しかし、やはり盗られてはならぬ物はあるわけで、タンスなどは寝間に置き、この部屋にだけは鍵があった。
寝ている間の無用心ということもあったであろう。寝ることは止めたが、タンスなどはそのまま残され、収納室になった。
では、なぜ専用寝間「納戸」が消滅したのか。その疑問にも筆者は答えている。
それは綿入れの夜具が普及したためだそうだ。
綿は江戸時代の中期になって、国産化されるまでは、天竺物と呼ばれるインドからの輸入品であり、一般庶民の手の届かぬ品物であった。
夜具の綿入れ布団はもちろん、木綿といえばごく一般的な布だけれども、
それまでは貴重品といってよかった。
綿のない時代、平安、鎌倉、室町時代には、貴族たちは絹の着物を着て、真綿を入れた布団に寝たのであろう。
一般庶民は、麻とか草の繊維で織った着物を着ていたのではないか。
いくら重ね着しても、これでは寒くてならなかっただろう。板床の上に藁を分厚く敷き詰めて、気のみ気のままで寝ていたと想像できる。
藁を敷き詰めていた証拠は、専用寝間の入り口が、少し跨いで入る造りになっていることで、そうしておかないと、部屋から出入りするとき、藁が部屋からはみ出してしまうからだ。
この跨いで入る入り口の戸に、鍵が付いていたのである。
時代をたどっていくと、その後夜具を入れるための押入れが、戸民家の間取りの中に見受けられるようになるそうだ。

下の間取りは1945年敗戦後の住宅難で東京都が贈った都庁型住宅の間取り。
日の字間取りを彷彿とさせるような住宅がごく近くの歴史の中にあったことが驚きです。
その翌年1946年には、復興住宅となり、その第一号は、9坪の建坪で3帖と7.5帖の2室に台所と玄関、各一坪となった。
住宅保証だより「工務店の戦後史」より
※近藤が住宅専門書や業界紙などを読んで、これはと思うものの備忘録です。